幕末ロマン溢れる星型の城郭 時代に抗う英雄・土方歳三終焉の地”五稜郭”

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

函館朝市でお腹をたっぷりと満たした後は、今回の旅のもう一つの目的地、五稜郭へ。

■五稜郭

星型の城郭、五稜郭。
ときは明治の黎明期。新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争の最終決戦、「箱館戦争」が行なわれた場所です。
歴史好きにとっては、元新撰組の土方歳三が命を落とした戦いとして、知られているのではないでしょうか。

そもそも、五稜郭の歴史は、江戸時代末期のペリー来航に端を発します。
1854年の日米和親条約により、函館の開港が決まると、幕府は箱館奉行所をここに造りました。
もともとは港の近くの箱館山にあったのですが、防衛上の理由等から内陸に移されたそうです。
※江戸時代までは、函館は箱館と呼ばれていました。


(空堀と城壁)

この五稜郭の設計を担当したのが、箱館奉行の支配下にあった「蘭学者」武田斐三郎。
武田は、箱館に入港していたフランスの軍人から指導を受けて、ヨーロッパの「城郭都市」をモデルとした土塁を設計しました。

そもそも防衛を十分に意識した造りだったからこそ、旧幕府軍が箱館戦争のときに占拠して、徹底抗戦できたのでしょうね。
7ヶ月の激戦の後、旧幕府軍は投降、箱館戦争は終結しました。

■箱館奉行所

五稜郭公園のなかに建つのが箱館奉行所です。
箱館戦争の後、旧箱館奉行所は解体されます。現在の箱館奉行所は、2010年に復元されたものです。

復元は、箱館奉行所の設計当時の平面図や、建てられた直後の写真などをもとに、精巧に進められました。
小ネタとして、このときに参考とした写真は、パリの骨董店で売られていたもの。
写真の裏には「二条城」と書かれていましたが、調査の結果、明治初期の箱館奉行所と判明しました。
もしかして、武田斐三郎に五稜郭の設計を指導した軍人のゆかりの人かも…なんてロマンがひろがります。

内部は公開されていいて、当時の奉行所のつくりや、函館の歴史を学べます。
箱館戦争ゆかりの品々や、旧幕府軍を率いた榎本武揚の掛け軸もありました。

■五稜郭タワー

この五稜郭を一望できるのが、五稜郭公園の近くにそびえ立つ五稜郭タワーです。

高さは107m。
ここから五稜郭を見ると、その名前の由来となった星型の姿を眺望できます。
360度見渡せますので、函館山や津軽海峡も眺めることができます。

中には、函館カレーで知られるレストラン五島軒や土産店もあり、多くの観光客でにぎわっています。
土方歳三のブロンズ像も記念撮影で人気でした。

土方歳三を見ると、大河ドラマで彼を演じた山本耕史さんを思い出すのは私だけ?
新撰組では「鬼の副長」と呼ばれ、近藤勇(大河ドラマでは香取慎吾さんが演じました)の右腕として、池田屋事件などで維新の流れに抗いました。
享年35歳。戦いに生き、戦いに殉じた英雄でした。

以上、新鮮な魚介あふれる朝市から、幕末ロマンあふれる城郭まで、魅力ある函館の旅でした。弾丸の函館旅行記、これにて終了です。ご愛読ありがとうございました!

今度はもっとゆっくり滞在を楽しみたいな。
いくら北海道新幹線ができたからと言ったって、日帰りはきついよ…。

ありがとう、五稜郭!ありがとう、北海道!

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