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こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、大政奉還150周年、ゆかりの"人"を巡る旅、高杉晋作と品川御殿山です。


(品川御殿山にある権現山公園)

■大政奉還150周年!ゆかりの"人”を巡る旅

今年(2017年)は、江戸から明治へと時代の舵を大きく切った大政奉還から150年目となる記念すべき年です。
現在、個人的に勝手な記念イベント『大政奉還150周年!ゆかりの"人”を巡る旅』を絶賛開催中です。

今回は、「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」、長州の暴れん坊高杉晋作を紹介します。

■高杉晋作

高杉晋作は、幕末に名を轟かせた長州藩士。
尊王攘夷の志士で、奇兵隊を創設し、長州藩を討幕に方向づけました。


(高杉晋作 Wikipediaより)

晋作は、長州藩士高杉小忠太の長男として、1839年に生まれました。
藩校の明倫館に通う一方で、吉田松陰の「松下村塾」に入り、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称されました。

1858年に、藩命におり江戸へ留学し、昌平坂学問所などで学びました。
その翌年、悲劇が起きます。安政の大獄と呼ばれる粛清により、師の松陰が投獄され、処刑されました。

晋作は、江戸で獄中の松陰の世話をしていたと言いますから、相当にショックだったものと思います。
彼が後に強硬な討幕論を主張するのは、この悲劇を経験したことも大きく影響していると思います。


(吉田松蔭 Wikipediaより)

■奇兵隊

1862年に、晋作は藩命により中国上海へ渡航しています。
このときに欧米の植民地となりつつある現状を見て大いに危機感を抱きます。

帰国後、桂小五郎や久坂玄瑞と共に、攘夷運動を展開したのは当然の流れと言えるでしょう。
晋作ら攘夷派は、品川に建設中のイギリス公使館を焼き打ちするなどの実力行使をします。

その翌年、晋作は、攘夷・倒幕を進めるために、身分に問わず参加を認める「奇兵隊(きへいたい)」を結成しました。
この奇兵隊を率いて、下関の功山寺で挙兵、第一次長州征伐を目前に、幕府への恭順止むなしとする長州藩保守派を排斥し、藩の実権を握りました。


(功山寺挙兵時の銅像 Wikipediaより)

1866年、幕府による第二次長州征伐が実行されると、晋作は海軍総督として戦闘指揮を執り、麾下の奇兵隊を駆使して、幕府軍を撤退させました。
これにより幕府の権威は大きく失墜。その翌年の大政奉還につながる戦いとなったと言えるでしょう。

しかしながら、晋作自身は、大政奉還の瞬間を見ることは出来ませんでした。
その後、持病の肺結核が悪化し、療養かなわず死去。
辞世の句として、「おもしろきこともなき世をおもしろく」が残されています。

同朋の伊藤博文が、晋作を評して「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」と言っています。
まさに激動の幕末を、疾風のごとく駆け抜けた若き英雄、高杉晋作。享年は29歳でした。

■イギリス公使館跡

今回、高杉晋作ゆかりの地として訪れたのは、品川御殿山です。

ペリー来航をきっかけとした開国を受けて、幕府は、ここ御殿山に外国の公使館をつくることとしました。
ときは尊皇攘夷の気運が高まっているさなか。丁度このとき、中国から晋作が帰国します。

晋作は、久坂玄瑞や伊藤俊輔(後の博文)らと、完成間近の英国公使館の焼き討ちを計画しました。
彼らが実行の日に集結したのが、品川宿の旅籠屋相模屋(土蔵相模)です。
現在は、京急の北品川駅近く、北品川商店街の一画に、その跡地を示す石碑が立っています。


(北品川駅近くにある土蔵相模跡)

彼らは、空堀と柵を越えて館に侵入し、建具類を積み重ね、爆弾に火をつけ全焼させました。
英国公使館のあった御殿山は、いまは線路で分断されていますが、線路脇にある権現山公園近くが焼き討ちの現場と思われます。


(権現山公園と遊具)

なお、晋作は久坂と一緒に、芝浦の妓楼で燃え盛る公使館を眺めながら酒盛りしたそうです。
このとき晋作24歳、久坂23歳。なんとも豪気な若者たちですね。

■“おもしろきこともなき世をおもしろく”

後に、晋作は、英仏等と戦って敗れた下関戦争の講和協議において、領地の租借を求める大国の要求を頑として受け入れず、古事記を暗誦するなどうやむやにして、これを退けました。

これは晋作が上海の植民地化の現状を知っていたからと言われています。
このとき同席していた伊藤博文は、もしこの要求を受け入れていれば日本の歴史が大きく変わっていただろうと自伝で記しています。

晋作は、御殿山だけでなく、日本の未来に火を灯したのかもしれません。

ありがとう、高杉晋作! もう少し長く生きたら、「おもしろきこともなき世」がもっと「おもしろく」なっていたことでしょう…。


(品川御殿山を走る線路 写真ACより)

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