伊豆の小京都「修善寺」ぶら歩き 源氏の悲しい物語も…

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、伊豆の修善寺をぶら歩きします。

■修禅寺

伊豆の修善寺は、東京から電車で約2時間。
「伊豆の小京都」とよばれる風情のある街です。

地名の由来となったのが、807年に弘法大師(空海)が創建したとされる修禅寺です。
修善寺と修禅寺。紛らわしいですが、いずれも「しゅぜんじ」と読みます。

まずは、修善寺の修禅寺にお参りしましょう。
お清めのために手を洗おうとしたら、龍の口から温泉が出ていました。さすがは温泉街…。

この修禅寺は、今は多くの観光客で賑わう場所となっていますが、鎌倉時代には源氏の悲劇の舞台となった場所です。
源頼朝の弟である範頼、頼朝の息子で鎌倉2代将軍の頼家が、謀反の疑いを掛けられ幽閉されたのが、ここ修禅寺です。のちに、この地で殺害されました。

■指月殿

その頼家の冥福を祈り、母親の北条政子が建立したのが「指月殿」
伊豆最古の木造建築物と言われています。堂の中央には釈迦如来像があります。

実は、頼家を死に追いやったのは、政子の父・北条時政でした。
頼朝の死後、実権を握る北条氏と距離をとろうとした頼家を、時政は許しませんでした。
頼家を修禅寺に幽閉すると、入浴中の頼家を襲撃して命を奪いました。

そのとき、政子の思いはいかに…
この指月殿は、そうした政子の償いの思いも込められているのかもしれませんね。

その頼家の墓は、堂のすぐ側にひっそりと佇んでいます。
在位はわずか6年。享年23歳でした。

■独鈷の湯

伊豆半島は温泉の宝庫ですが、なかでも修善寺は、最も歴史がある温泉地と言われています。
その起源は、遡ること千二百年。弘法大師(空海)に由来します。

少年が病に侵された父の体を河原の冷たい水で洗うのを見た弘法大師(空海)。
「川の水では冷たかろう」と、持っていた独鈷杵(とっこしょ)と呼ばれる仏具で岩を突くと、温泉が涌き出たというのが修善寺温泉の始まりと言われています。

そのルーツとされるのが「独鈷の湯」
修禅寺の街を流れる桂川の真ん中、小島のような形でいまも残っています。

■竹林の小径

その近くには、観光客に人気の「竹林の小径」があります。
竹林に囲まれた石畳の遊歩道を歩くと、心身ともに癒される感じがします。これ、森林浴ならぬ竹林浴なんでしょうか。

他にも、風情のある景色や、歴史ある寺社や史跡が盛り沢山。
もちろん温泉も楽しめます。ゆっくり訪れたい街、伊豆の修善寺でした。

ありがとう、修善寺! ありがとう、伊豆の小京都!

■基本情報

【修禅寺】
所在地:静岡県伊豆市修善寺964
アクセス:修善寺駅からバス8分

【指月殿】
所在地:静岡県伊豆市修善寺
アクセス:修善寺駅からバス7分

【独鈷の湯】
所在地:静岡県伊豆市修善寺
アクセス:修善寺駅からバス8分

【竹林の小径】
所在地:静岡県伊豆市修善寺3463-1
アクセス:修善寺駅からバス10分

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