鎌倉七福神巡り「宝戒寺」 北条氏屋敷跡と鎌倉幕府終焉の地

こんにちは。夢中図書館へようこそ。

今日の夢中は、鎌倉七福神巡り「宝戒寺」です。

■鎌倉七福神巡り

鎌倉七福神巡り。正確には、鎌倉・江の島七福神巡りと言います。
古都鎌倉と江の島の八つの寺社に祀られている、幸運を招く七福神を参拝するたびです。

ちなみに、なんで八社かというと、弁財天を祀る寺社が2つあるから。
江戸時代に正月行事として一般化しましたが、現在では通年で参詣することができます。

北鎌倉から七福神巡りをスタートして、前回は鶴岡八幡宮を参拝。
今回は、さらに足を延ばして、「宝戒寺」を訪問します。

■宝戒寺

宝戒寺
天台宗の寺院です。山号は金龍山。
本尊の左手に毘沙門天が祀られています。

ここは、歴代の鎌倉幕府執権・北条氏の屋敷があった場所です。
元弘3年(1333年)、14代執権・北条高時は、新田義貞の軍に追いやられて、当地の裏山の東勝寺に逃げ込みました。

そこで高時は自害。一族郎党870余名も運命を共にしました。ここに、鎌倉幕府は滅亡したのです。
宝戒寺は、その北条氏の霊を弔うため、後醍醐天皇の命を受けた足利尊氏によって、北条執権屋敷跡であるこの地に建立されました。

萩の名所として知られ、「萩の寺」とも呼ばれています。9月には萩の白い花で埋め尽くされるそうです。
ただ、残念ながら訪れた日は、萩の見ごろを過ぎて、代わりに咲いていたのは白い彼岸花。

これもまた北条氏の御霊を弔うものなのでしょうか…。
境内に、美しくも物悲しく咲いておりました。

■東勝寺跡

その宝戒寺の裏手に、北条一族が自刃した「東勝寺」の跡地があります。

東勝寺は、鎌倉幕府3代執権の北条泰時により、北条氏の菩提寺として創建されました。
この寺は菩提寺であるとともに、周辺の地形と相まって、有事のときの城郭的な機能も持っていたと考えられています。

まさにその「有事」はやってきました。
北条高時ら一族は新田義貞に攻め込まれここに逃げ込みましたが、抗戦かなわず、自ら火をはなって自刃。

現在は広大な原っぱとなっています。重要な史跡のため立ち入り禁止。
1996~97年に行われた発掘調査では、幕府滅亡時に焼失したと考えられる建物の跡と、それを覆う10数㎝の炭の層が発見されました。

さらにその奥にひっそり佇むのが、北条一族を供養する洞窟墳墓とされる「腹切やぐら」です。
こちらも立ち入り禁止。

一部には心霊スポットとされているようですが、確かになにやらもの寂しい…。
観光客もいません。賑やかに訪れる場所ではありませんからね。静かに手を合わせましょう。

鎌倉幕府滅亡の地。そこは、宝戒寺の裏手、清らかな川が流れる先にありました。

ありがとう、宝戒寺! 北条氏よ、安らかに。

■基本情報

名称:宝戒寺
住所:神奈川県鎌倉市小町3-5-22

アクセス:鎌倉駅から徒歩13分
拝観時間:8:30~16:30
料金:大人100円、小学生50円

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