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大政奉還150周年!ゆかりの”人”を巡る旅 <br>久坂玄瑞と京都御所・蛤御門

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、大政奉還150周年!ゆかりの”人”を巡る旅、久坂玄瑞(くさかげんずい)と京都御所・蛤御門(はまぐりごもん)です。

■大政奉還150周年!ゆかりの"人”を巡る旅

今年(2017年)は、江戸から明治へと時代の舵を大きく切った大政奉還から150年目となる記念すべき年です。
現在、個人的に勝手な記念イベント『大政奉還150周年!ゆかりの"人”を巡る旅』を絶賛開催中です。

今回は、幕末の長州藩士・久坂玄瑞と京都御所・蛤(はまぐり)御門を紹介します。

■久坂玄瑞

久坂玄瑞(くさかげんずい)は、幕末の長州藩士です。
吉田松陰に師事し、高杉晋作と同じく松下村塾で学びました。長州藩の尊王攘夷運動を率い、日本の行く末をも動かした晋作と玄瑞は、「村塾の双璧」と称されます。


(久坂玄瑞 ※Wikipediaより)

松蔭は、玄瑞を長州一の俊才と評し、自らの妹・文を嫁がせるほど、信頼を寄せました。
2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」は、井上真央さん演じる文を主人公に、幕末・維新の時代を描きました。ことのきに玄瑞を演じたのは、東出昌大さんでした。

1859年、安政の大獄により松蔭が刑死すると、高杉晋作ら松下村塾の盟友と結束。
さらにその才覚を持って、薩摩の西郷隆盛や土佐の坂本龍馬ら他藩の志士らと親交し、攘夷に向けた連携を深めます。

そしてついに、保守派の重臣を排斥し、長州藩の方針を攘夷・倒幕に向けることに成功しました。
玄瑞の一連の行動が、後の維新を生み出すきっかけとなったと言っていいかもしれません。

■蛤御門の変

玄瑞は、長州を支持する三条実実ら公卿と協力して、朝廷をも攘夷へ動かします。
しかし、幕府は急進的な長州の尊王攘夷の動きを問題視し、長州の動きを封じ込める実力行使に及びます。
長州派の公卿を更迭すると、長州藩の宮門護衛の任を解き、京都追放を命じました。

玄瑞は、長州藩の罪の回復を願い他藩や公卿へ説得を試みますが、武力による京都政局復帰を主張する強硬派に押し切られる形で、やむなく挙兵。
これが、1864年に起きた蛤御門の変。京都市中をも戦火で焦がした武力衝突事件です。禁門の変とも呼ばれます。

 

京都御所の西を守る蛤御門を攻めた長州藩ですが、この門を警護する会津藩、さらに援軍に駆けつけた薩摩藩に敗れて撤退。
玄瑞自身も自害しました。享年25歳。偉大なる才能の早すぎる喪失でした。


(京都・霊山護国神社にある久坂玄瑞の墓[写真中央])

■京都御所・蛤御門

そこから150年超のときを経て、いまの京都御所を歩きます。

蛤御門(はまぐりごもん)は、京都御所の外郭九門の一つ、御所の西を守る筋鉄門です。

1864年の蛤御門の変では、長州藩と会津藩との激戦地となりました。
現在でも門柱に命中した弾痕を確認することができます。


(蛤御門・門柱の弾痕)

激戦の跡は門の中にも見ることができます。
長州藩を指揮した来島又兵衛は、このムクの木の下で討ち死にしました。


(御所脇のムクの木)

一方で、長州藩と相対した会津藩は、蛤御門から程近いこの地に陣を置いていました。


(会津藩仮本陣跡)

京都御所は、14世紀の南北朝の統一から明治維新まで、皇居としてつかわれていた場所です。
以前までは申し込みがなければ参観ができませんでしたが、2016年7月から無料公開となっています。

敷地は広大で、天気のいい日は気持ちのよい散策ができます。
観光客のみならず、地元京都のひとにも愛される散策エリアになっているようです。

若き俊才・久坂玄瑞。もう少し生き永らえていれば、京の街そして京都御所の地を闊歩できていたかもしれません…。

ありがとう、久坂玄瑞!若き俊傑が挑んだ最後の戦の跡、京都御所・蛤御門でした。

 

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