こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、大政奉還150周年!ゆかりの人をめぐる旅・番外編、京都壬生寺と新撰組です。

■後日譚

昨年2017年は、大政奉還から150周年の記念すべき年でした。
そこで個人的に勝手に祝うイベント「「大政奉還150周年!ゆかりの人をめぐる旅」を決行。今をときめく(?)西郷どんに、勝海舟に、坂本龍馬に、色んなゆかりの人をめぐりました。
※その一連の旅の様子はこちら

年末にブログ「夢中図書館」の蔵書(いわゆる記事)の整理も兼ねて、2017年の写真を整理していたら、夏に京都を旅行した時の写真が出てきました。
そこで目に留まったのが、新撰組ゆかりの寺として有名な京都・壬生寺の写真。

そーいえば、壬生寺を紹介してなかったっけ…。
すでに「大政奉還150周年!ゆかりの人をめぐる旅」は終了しましたが、今回はその後日譚として、新撰組ゆかりの京都・壬生寺を紹介します。

■新撰組

新撰組は、江戸時代末期に結成された浪士による武装組織です。
1863年、ときの将軍・家茂の上洛を警護する目的で浪士組が編成されました。

当初200名ほどの大所帯だったと言いますが、京都に到着後に分裂。
京都に残った一派が京都守護職の会津藩主・松平容保の庇護のもと、新撰組を結成しました。

任務は討幕運動の粛清、京都の治安維持など、いわば警察活動です。
有名な池田屋事件などで討幕派の志士たちを粛清しました。新撰組の活動により、維新が遅れたとも、逆に火に油を注ぐ形で加速したとも言われています。


(イラストACより)

■壬生浪士組

この新撰組の前身となったのが壬生浪士組です。
その名が示すとおり、活動の拠点を京都の壬生に置きました。

創設メンバーは24名。
主要メンバーは、近藤勇、土方歳三、沖田総司ら江戸の試衛館一派と、芹沢鴨ら水戸派で構成されていました。
のちに内部抗争により、近藤・土方らが芹沢を暗殺。水戸派は一掃され、ここに近藤勇、土方を中心とする「新撰組」が誕生しました。

この辺のドラマは、大河ドラマ「新撰組」でも詳しく描かれていましたね。
厳しい局中法度も有名で、これに違反したものは粛清されました。新撰組隊士の死因は、粛清による切腹が最も多いと言われています。


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■壬生寺

新撰組は、京都の壬生の地において結成されました。
壬生寺は、新撰組が屯所とした八木邸にも近く、新撰組の兵法調練場として使われました。

そんな由縁もあって、境内には「壬生塚」という新撰組隊士の墓があります。

墓所に入ると、そこには新撰組局長・近藤勇の胸像と遺髪塔がありました。
壬生塚全体を見渡す位置に立つ胸像…。その視線は今も隊士の働きを確認しているかのよう…。


(近藤勇の胸像、左手が遺髪塔)

また、近藤らに暗殺された隊士・芹沢らの11人の隊士が祀られています。近藤のそばではオチオチ眠れないんじゃないの?


(芹沢鴨ら隊士の墓)

壬生寺正門近くには、新撰組が屯所とした八木邸が当時のままの形で残っています。
実は、新撰組が壬生に屯所を据えたのは2年あまりにすぎませんでした。池田屋事件などの働きでお上から恩賞を得ると、組織を拡大して西本願寺に本拠を移します。


(池田屋跡。今は某大手チェーンの居酒屋)

しかし、一旦動き出した時代の流れを変えることはできません。
運命の1867年、新撰組は念願の幕臣に取り立てが決まって間もないうちに、将軍・徳川慶喜が大政奉還を宣言します。
その後、近藤や土方、沖田ら新撰組隊士たちは、それぞれ志半ばにして命を落としました。
2017年は大政奉還150周年を祝してゆかりの地をめぐりましたが、歴史には表と裏があること、勝者の陰に敗者があることを忘れてはなりませんね…。

ありがとう、新撰組!ありがとう、壬生寺!

■基本情報

名称:壬生寺(みぶでら)
住所:京都市中央区壬生梛ノ宮町31

アクセス:JR京都駅から市バスで20分
営業時間:8:30~16:30(壬生塚拝観)
料金:境内は自由参拝。壬生塚の拝観料は100円。

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