鎌倉にも城があった!源平・南北朝の夢の跡…城ぶら「杉本城」

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、神奈川県の鎌倉にあった城、杉本城跡をめぐります。

■城語り

鎌倉と言えば寺社巡り。城なんてあったっけな?
実はあったんです。杉本城というお城が。

それは平安時代末期のこと。
神奈川県の三浦半島に権勢をふるった三浦義明の長男、杉本義宗が鎌倉の地に城を築いたのが始まりと言われています。

その後、源頼朝が挙兵すると、三浦氏は源氏に与して平家方と戦いました。
杉本家もこれに倣い、鎌倉の由比ヶ浜に進駐してきた平家方の畠山氏と合戦。
杉本城は、源平合戦の重要な軍事拠点の役割を果たしました。

その後鎌倉期に入っても、杉本城は鎌倉を守る城郭として存続しました。
南北朝の争乱期に入ると、北朝方の斯波家永が守る杉本城に、南朝方の北畠顕家軍が攻め入ります(杉本城の戦い)。

この戦で杉本城は落城。家永をはじめ城兵はことごとく討ち死に。
このとき家永は17歳。勝利した顕家は19歳(翌年戦死)だったのだとか。なんか切ないですね…。

その後、杉本城が歴史の表舞台に登場することはありませんでした。

■城ぶらり

そんな杉本城址をぶら歩き。
…といっても、残念ながら城址のある大蔵山は個人所有なので、立ち入ることはできません。

山の中腹にある杉本寺までは見学することができます。
この杉本寺は鎌倉最古の寺とされる古刹。創建は734年、源頼朝も参拝したという言い伝えがあります。

だから、杉本城が築城されたときも、杉本城の戦いがあったときも、この寺はその歴史を目撃していたはずです。
頼朝をはじめ鎌倉期の武将は神仏への信仰が篤かったので、杉本城の武士たちはこぞって参拝したのかもしれません。

金沢街道から石段を登った先に山門が建っています。
左右に金剛力士像を安置していて、仁王門とも呼ばれています。

さらにその上、本堂に続く苔むした石段があります。
すり減っているため通行禁止となっているおかげで、なんとも趣のある鎌倉石の石段となっています。

その左側の新しい階段を登ってたどり着いたのが本堂(観音堂)です。
堂内奥には本尊として3体の十一面観音像を安置しています。いずれも平安時代末期から鎌倉時代の作と見られています。

本堂脇に五重塔群があります。
これは、杉本城の戦いで戦死した斯波家長と一族の供養塔と言われています。

この本堂の裏山にかつて杉本城があったとされます。
まさに兵どもが夢の跡。苔むす石段が、ときを超えて兵士たちの魂を鎮めているようです。

あまり知られていない鎌倉の城跡
鎌倉最古の寺を参拝しながら、源平・南北朝の時代に思いを馳せるのもいいかもしれません。

ありがとう、杉本城! ありがとう、杉本寺!

■基本情報

名称:杉本寺
所在地:神奈川県鎌倉市二階堂903

アクセス:鎌倉駅からバスで10分(杉本観音下車)
拝観時間:8:00~16:30(入山は15分前まで)
料金:大人200円、小学生100円

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