岩崎弥太郎の意志を受け継ぐ和と洋の館「旧岩崎邸庭園」

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、台東区池之端にある旧岩崎邸庭園を訪問です。

■旧岩崎邸庭園

旧岩崎邸庭園
上野公園不忍池の南西方向、台東区池之端にある、都立庭園です。

名前にある「岩崎」とは、三菱財閥を創設した岩崎家
NHK大河ドラマ「龍馬伝」を見たことがある人なら、思い出しますよね。香川照之さんが演じた岩崎弥太郎


龍馬伝 完結編

彼が、江戸時代には高田藩榊原家の中屋敷であったこの敷地を、1878年(明治11年)に購入しました。
ちなみに、「龍馬伝」ではこの旧岩崎邸がロケで使われましたが、その後は室内での撮影は不可になっています。

もともと行きたい場所でしたが、今回上野に行く用事があって、念願かなって訪問が実現。
室内撮影は不可でしたが、外観だけでも紹介したいと思います。

■洋館

不忍池の南西の端。歩いてしばらく行くと、旧岩崎邸庭園の入り口があります。
さすがは高田藩主・榊原家の中屋敷跡。正門に続く道の脇に積み上げられた石垣は、往時の大名屋敷を思い起こします。

入り口から歩いてほどなく、目の前に洋館が姿を現します
なんか、時間も場所も、明治のどこかにタイムスリップしたみたい。

現存する洋館や大広間(かつての和館の一部)などは、岩崎弥太郎の長男・久弥(三菱財閥3代)によって建てられました。竣工は1896年(明治29年)です。
往時には、1万5000坪余りに20棟もの建物が並んでいたのだとか。さすがは三菱財閥…。

洋館の設計を担当したのは、イギリスの建築家ジョサイア・コンドル
彼は明治期にお雇い外国人として来日し、工部大学校(現・東京大学工学部)の教授として辰野金吾ら若き日本人建築家を育成しました。

そんな日本の近代建築の土台を築いた技術が、この岩崎邸でも存分に発揮されています。
南面のベランダは、コンドルが得意としたコロニアル様式で造られています。

また、室内には暖炉が各室に整備されているほか、壁面や天井、床のタイルまで、様々な装飾が施されています。
婦人用客室はピンクが基調のデザインにされていたり、客室はいずれも南面を向いていたり、細部に至るまでプロの気配りとこだわりを感じました。

■和館

洋館と併設して和館があります。
当時の岩崎邸は、洋館を公的な接客の場として、和館を日常生活の場として使い分けていたそうです。なんとも贅沢な…。

洋館と和館は渡り廊下でつながっているのですが、この天井が低くて、洋と和の隔たりを感じました。
もしかしたら、岩崎家のひとたちは、公の場から私の場に移るときに、この渡り廊下を通って、「身の丈」に戻っていたのかもしれません。逆もそうかも…。

なお、設計は大工棟梁の大河喜十郎と伝えられています。
こちらもコンドルに負けず劣らず、巧のこだわりがふんだんに盛り込まれています。
良質な木材はもちろん、和風庭園の情趣は日本人の心のあり様そのもの。

ちなみに、往時の和館の大部分は取り壊されており、現存するのは大広間、次の間、三の間の3室と、茶室(待合室)、渡り廊下、便所のみになっています。
それでも広いけどね…。

■撞球室

洋館と大広間(和館の一部)と合わせて国の重要文化財に指定されているのが、撞球室です。
撞球室?英語で書くと「Billiard Room」。そうです、ビリヤード室です。

洋館から少し離れたところに位置していますが、実は洋館と地下でつながっています
こちらは残念ながら通行不可でしたが、なんか秘密の通路みたいでワクワクしますね。

外観はスイスの山小屋風。こちらも、ジョサイア・コンドルの設計です。
当時の岩崎さんと来訪の要人たちは、ここで玉を突きながら天下国家を語っていたのでしょうか…。

ちなみに広大な庭園は、ところどころに石灯篭や祠など、和のテイストが残っています。
これは、榊原家の名残なのか、岩崎弥太郎の誇りの証なのか…。

いやいや、やっぱり来てよかった。意外に知られていない日本の名所ですよね。
ありがとう、岩崎邸! ありがとう、岩崎さん!

■基本情報

施設名:旧岩崎邸庭園
住所: 東京都台東区池之端1-3-45

アクセス:東京メトロ千代田線「湯島」駅から徒歩3分
営業時間:9:00~16:30(兵会陰は17:00)
休園日:年末年始
料金:大人400円、小学生以下無料

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