城ぶら「松代城」!信濃の山々に囲まれた武田・真田ゆかりの城

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、武田・真田ゆかりの城、松代城です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

長野県長野市南郊にある松代城。元々は「海津城」と呼ばれていました。
このエリアは、戦国期に武田信玄と上杉謙信の激しい領土争いが行われた場所。
有名な川中島の戦いが行われたのも、この城の近くです。

この松代城は、武田信玄が北信濃攻略の拠点として、軍師・山本勘助に命じて築城させた城
武田家の重臣・春日虎綱(高坂昌信)が城代として治めました。川中島の戦いのときは信玄も入城した重要拠点です。

戦国末期、その武田家が滅亡すると、織田や上杉、豊臣と有力武将が当地を支配します。
1600年に、家康に与した森忠政が川中島藩主として入封。関ヶ原の戦いのときは、上田城に籠城する真田昌幸への備えとして当地にとどまり、睨みを効かせました。

1603年、その森忠政が津山藩に加増転封されると、徳川麾下の重臣が当地を治めます。
そして1622年、松代と言えばこの人、真田信之が入城します。信之は、昌幸の子にして幸村の兄。関ヶ原の戦いのときに、父弟と袂を分かって徳川方に付きました。

名君として知られる信之により治世は安定。
以後、松代藩の藩庁として、明治維新まで真田氏の居城となりました。

■城ぶらり

そんな、武田・真田ゆかりの松代城をぶら歩きします。

松代城は、明治期の廃城令により取り壊しになりますが、2004年に城門やお堀、石垣、土塁などが復元されました。

だから、まだまだ新しい松代城の史跡が楽しめます。
はじめに目の前に現れるのは、美しい城門と石垣。北信濃をめぐる攻防をしのぶように、城壁をお濠が囲んでいます。

城内に入ると、そこは本丸御殿跡
江戸時代中頃まで政庁や藩主の住居のための御殿がありました。

本丸内には、「海津城址之碑」が建っています。
この松代城は、戦国時代は「海津城」(かいづじょう)と呼ばれていました。
この碑は大正期に、松代開府300年を記念して建立されたもの。映えますね。

本丸正面に位置する太鼓門と、搦手(裏門)にあたる北不明門
いずれも立派に復元されています。


(太鼓門)


(北不明門)

武田信玄も真田信之もここにいたんだよなぁ…。
周りを囲む信濃の山々を眺めながら、深い感慨に浸りました。

戦国に思いを馳せる名城・松代城の城ぶら、おススメです!

ありがとう、松代城! ありがとう、武田信玄、真田信之!

■基本情報

名称:松代(海津)城跡
所在地:長野県長野市松代町松代44

アクセス:(1)長野ICから車で5分、(2)JR長野駅からバスで30分
営業時間:9:00~17:00

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