こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。
日本ではじめて鉄道が走った区間を歩くたび。
ついに神奈川にステップイン!
まずは川崎から鶴見を目指します。
■川崎ギャンブル・ゾーン
多摩川を渡って、神奈川・川崎市に入ると、そこに突然、魅惑の(?)ギャンブル・ゾーンが現れます。
まずは川崎競馬場。地方競馬の競馬場です。
平日のナイター競馬の開催が中心みたいで、残念ながらこの日は開催なし。馬の走るところ、見たかったな。
ちょっと歴史好きには関心を引かれるネタがありました。
この地にはじめて競馬場ができたのは1906年のこと。そのときに競馬を開催したのは、板垣退助を中心とした京浜競馬倶楽部なんだって。
まさか、板垣退助さんも、その後、自分が描かれた100円札で馬券が買われることになるとは思ってなかったでしょう。
川崎競馬場の近くには、川崎競輪場があります。
こちらはちょうど大きなレースの開催日だったようで、川崎駅からの直通バスが着くたび、多くのおじさん達が一心不乱で入場口に向かっていきました。
なんかその異様さに圧倒されて、見てみたいという好奇心が一気にしぼんでしまいました。
実は一度だけ競輪を見たことがあるのですが、ゴール前の迫力はすごかったです。
今回はそれに負けじとおじさん達の目が怖かった…。また今度にしよう。
■川崎球場跡と「10.19」
その川崎競輪場のすぐ隣に、旧川崎球場があります。
今は富士通スタジアム川崎という、アメリカン・フットボールの競技場。
川崎球場。プロ野球ファンなら知ってると思いますが、ロッテ・オリオンズ(現・千葉ロッテ・マリーンズ)の本拠地でした。
その前は大洋ホエールズ(現・DeNAベイスターズ)も本拠地としていたみたい。
思い起こすのは、1988年10月19日の、ロッテ・オリオンズ対近鉄バッファローズのダブルヘッダー。
近鉄が優勝までのマジックナンバーを2として迎えた残り2試合。
後に「10.19」と呼ばれ、球史に残るダブルヘッダーは、ここ川崎球場で行われました。
この日は、連日閑古鳥の川崎球場が、胴上げを期待する近鉄ファンで超満員。
第1試合を近鉄が劇的な逆転で勝利をかざると、がぜん川崎球場が盛り上がります。
優勝までのマジックナンバーは1。急遽、テレビ中継がされました。(←見た記憶があります。)
運命の第2試合。事件は同点で迎えた9回裏、ロッテの攻撃のときに起きました。
無死1、2塁のピンチに、近鉄のピッチャー阿波野が2塁に牽制。
微妙なタイミングでしたが、塁審の判定は「アウト」!
より一層盛り上がる川崎球場。
しかしここに1人、敢然とこの盛り上がりに水を差す人間がいました。
ロッテの監督、有藤通世。「ミスター・ロッテ」と呼ばれた男。当時41歳。
この判定に猛抗議します。
当時のパ・リーグは、試合時間が4時間までと規定されており、この抗議のときにすでに3時間半が経過。
引き分けでは優勝できない近鉄にしてみれば、何としても延長で逆転したい。守りの時間を少しでも短くしたかったはず。
結局、有藤監督の抗議は9分間に及びます。
近鉄は9回のピンチを切り抜けたものの、残された時間は延長10回の1イニング。
懸命の攻撃も勝ち越すことはできず、この試合は引き分けで終了。
近鉄優勝の夢は、130試合目にして、ここ川崎球場でついえました。
■記念碑代わりの時計塔
すでに川崎球場はありません。
いま、当時の名残を残すのは、記念碑代わりの時計塔。
川崎球場の名を残すこの時計も、1988年の10月19日、悲しく時を刻んだことでしょう。。。
ちなみに、ここ川崎球場で涙をのんだ近鉄バッファローズ。翌年、「熱パ」を制して悲願の優勝を成し遂げました。
ありがとう、川崎球場!当時の近鉄、ロッテの皆さん、激戦お疲れ様でした。
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