秋田の文化教育を育んだ悲運の戦国大名の夢のあと ”千秋公園”をぶら歩き

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

前日に、偶然にも、竿燈まつりの練習の場面を見学できて、興奮冷めやらぬまま、眠りについた翌日。
※前日の記事はこちら
仕事の合間に、秋田のオフィス街にある憩いの公園、千秋公園を訪れました。

■久保田城

千秋公園は、秋田市にある都市公園です。
もとは久保田城があったところで、本丸・二の丸跡地に整備されました。

久保田城は、久保田藩主佐竹氏の居城でした。
久保田藩とは耳慣れませんが、秋田藩とも呼ばれます。こちらの方が馴染みますね。



佐竹氏は、悲運の戦国大名と言っていいでしょう。
もとは、常陸源氏の嫡流の血筋で、室町時代には常陸守護を務めた名門です。
豊臣秀吉の小田原征伐にも参陣して、秀吉の庇護のもと、勢力を拡大します。

しかしながら、そうした秀吉以来の恩顧もあり、関ヶ原の戦いにおいて中立的な態度を取ったために、家康の不興を買います。
関ヶ原の戦いにおいては、家康と敵対する上杉景勝と謀り、家康を追撃する密約を結んでいたと言われます。

■悲運の戦国大名

この辺は、歴史ファンにはたまらないところですね。上杉景勝の家臣、直江兼続あたりと戦略を練っていたのでしょうか…。
しかしながら、結果はご存じのとおり、予想だにしない短期間での東軍・徳川の勝利となりました。

関ヶ原の戦いの2年後(1602年)、急遽、出羽国・秋田への国替えを命じられます。
石高は、常陸を治めていた頃に比べて、半分以下、見方によっては1/4になったとも言われています。

そのために、厳しい財政運営を余儀なくされますが、それでも名門の血筋ゆえに、高い文化と教養を秋田に持ち込みました。
歴代藩主は、藩校設立など、秋田の文化教育の発展に尽力しました。
現在、秋田県の小中学生の学力が全国トップクラスになっていますが、もしかしたら、こうした伝統があったからかもしれません。

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■佐竹の殿様

公園のなかには、最後の秋田藩主、佐竹義堯(よしたか)の銅像もあります。
説明文には、「近代秋田を築いた最後の藩主」と書かれてあり、その徳をしのんで銅像が建立されたとのこと。



現在の秋田県知事・佐竹敬久氏は、秋田藩主佐竹氏の分家の末裔で21代目にあたります。
今なお、「佐竹の殿様」と呼ばれる御仁が知事を務めているあたり、佐竹藩の治世が安定していたことがしのばれます。

なお、久保田城をはじめとする建造物は、1880年の大火により、ほとんどが焼失しました。
現在は、本丸表門や御隅櫓が再建されており、当時の威光を今に伝えています。

■八幡秋田神社と与次郎稲荷神社

境内には、八幡秋田神社や与次郎稲荷神社などの神社もあります。

八幡神社は、秋田初代藩主佐竹義宣を祀るために創建された神社です。後に、九代義和、十二代義堯も合祀しています。

与次郎稲荷神社は、初代義宣に飛脚として仕えたとされる狐の「与次郎」を祀る神社です。そのため、狐が稲荷神の遣いではなく神そのものとして扱われています。
秋田では、この時期、「与次郎駅伝」という市民大会も開催されていました。

そのほかにも、大賀ハスが自生する胡月池などもあり、広い公園内のぶら歩きはとても楽しいものでした。

ちなみに、この前日は、竿燈の技を堪能した後に、秋田の酒と肴でお腹を満たしました。
港も近いんですよね。新鮮な刺身にハタハタの塩焼き、比内地鶏などの地元の食材をつまみに、美味しい地酒をいただきました。

すいません…。秋田、むちゃくちゃ好きになりました。
ありがとう、秋田!ありがとう、歴代の佐竹の殿様!

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