東京福めぐり"高輪神社" 兵どもが夢の跡に静かに佇む守り神

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、東京福めぐり「高輪神社」です。

■東京福めぐり

「東京福めぐり」とは、都営浅草線の沿線にある8つの神社をめぐり、各神社の特別印を集める開運散歩です。
ホームページでは「八社開運さんぽ」とも書かれています。


東京福めぐりHPより

今回は、品川の高輪エリアにある「高輪神社」(たかなわじんじゃ)です。

■起こり

高輪神社は、高輪一円の総鎮守です。
創建は室町中期と言われています。当時は「稲荷社」と称していましたが、後に「高輪神社」と改称しました。
お稲荷様、八幡様、猿田彦様をお祀りしています。
また、境内にある太子宮は、その名のとおり聖徳太子をお祀りしています。

現在の社殿は、旧社殿の焼失等もあり、1980年に造営されたもの。
どおりで新しい香りがします。

一方で社殿の前に置かれている狛犬は大変年代の古いものです。
1845年の大火によって社殿など境内の多くが焼失しましたが、石づくりの鳥居や狛犬などは焼失を免れて残っています。

■太子堂

社殿の左手には太子堂が鎮座しています。こちらは聖徳太子をお祀りする神社です。
堂内の聖徳太子像は太子が16歳のときに自ら作ったものなのだとか。

太子堂を囲む外壁は相当に年季が入っているもので、江戸末期に彫られたものと見られています。
迫力ある彫刻ですよね。仁王が虎を退治しているのでしょうか…。

恵比寿様と大黒様も鎮座しています。さすがは八百万の神々が宿るニッポン。この辺の包容力の高さをもっと強みにしていければいいのですが…。

■高輪の由来

なお、「高輪プリンスホテル」などで耳馴染みのある高輪(たかなわ)ですが、よくよく見ると、ちょっと変わった読み方ですよね。普通なら「たかわ」?

高輪という地名は、戦国時代の軍記に「高縄原」(たかなわはら)と書かれていることに由来します。ちなみに「高縄」とは、高台にあるまっすぐな道を意味しています。
1524年、この高台の地で、北条氏綱と上杉朝興の両軍が戦いました。これを「高縄原の戦い」と言います。
この高縄原が転じて高輪原となり、現在の「高輪」(たかなわ)と呼ばれることになったというのが有力な説です。

高輪エリアは、その由来となった高輪原の戦いの他にも、江戸元禄期に討ち入りを果たした赤穂浪士が凱旋した泉岳寺があったり、近くの御殿山には幕末に高杉晋作が焼き討ちした英国公使館があったり…。
この地はなにか「戦い」を引き付けるのでしょうか…。
そういえば、映画「シン・ゴジラ」でも、品川高輪エリアにゴジラが来襲したっけ…。


(シン・ゴジラDVD)

それでも、今は多くの人びとが平和に暮らす高級住宅街。こうした閑静な環境が保たれているのは、もしかしたら高輪神社の御力によるのかもしれません。

ありがとう、高輪神社!これからもエリア一体をお守りください!

■基本情報

神社名:高輪神社(たかなわじんじゃ)
住所:東京都港区高輪2-14-18

アクセス:都営浅草線泉岳寺から徒歩4分

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