頼朝と政子の出会いの地「伊豆韮山」!北条氏の史跡や日本最初のパンも

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、伊豆の韮山を街あるきします。

■江川邸

伊豆の韮山と言えば、世界遺産に登録された韮山反射炉
館長ふゆきも訪問して、江戸幕末期の産業革命の黎明をリアルに体感しました。
※そのときの記事はこちら

韮山の街には、韮山反射炉にゆかりの史跡もあります。
それがこちら。江川邸です。

その名の通り、江戸時代のほぼ全期間を徳川幕府の代官として当地を治めた江川家の屋敷。
江川家の住宅にして、役所跡でもあります。

特に幕末に登場した36代江川英龍(坦庵)は、文化人にして開明思想家、革新的な技術者でもありました。
彼は幕府に対して、沿岸防備の建議や、西洋砲術の研究と訓練、農兵訓練など数多くの提言を行いました。そのうちの一つが、韮山反射炉の築造です。


(江川英龍(坦庵)肖像画)

幕末に突如生まれた天才。
彼は代官として民政にも心を配り、領民から「世直し江川大明神」と敬われていたそうです。

ちなみに、この英龍は「パン祖」とも呼ばれています。
それは、自邸内にパン窯を築いて実際にパンを焼いたから。これが日本最初のパンだったと言われています。


(パン焼き窯)

国防の重要性を説いた英龍は、腐りやすい米飯に代わる兵糧として、乾パンに着眼したようです。
そういえば、韮山反射炉の物産館で乾パンが売ってたっけ…。買っておけばよかったな。

■蛭ヶ島公園

伊豆韮山には、まだまだ歴史好きにはたまらない史跡があります。
特に、鎌倉時代の史跡が豊富です。それは、この地に、後の鎌倉幕府を開く源頼朝が配流されていたから。

平治の乱で敗れた頼朝は、1160年に伊豆に配流され、挙兵するまでの20年近くをこの地で過ごしました。
その間に、北条政子と出会い、結婚しています。当時としては珍しい恋愛結婚でした。


(蛭ヶ島公園石碑)

そんな二人の銅像が蛭ヶ島公園に建っています。
これはその名も「蛭ヶ島の夫婦」と呼ばれる銅像。頼朝と政子の夫婦が見つめるのは富士山。二人でどんな将来を語り合ったのでしょうか…。


(蛭ヶ島の夫婦)

■願成就院

頼朝を天下人にのし上げたのは、頼朝の監視役であった伊豆の豪族・北条氏です。
もともとは平家に仕えた北条氏でしたが、政子が頼朝の妻となると反旗を翻します。

頼朝の伊豆挙兵を援け、平家打倒の先鞭をつけました。
それを先導したのが、政子の父にして頼朝の舅、北条時政です。

頼朝の死後は、2代将軍頼家を放逐し、幼い3代将軍実朝を擁立。
時政は初代執権として政治の実権を握りました。ここから北条氏の執権政治が始まったのですね。


(願成就院)

その北条時政が建立したのが願成就院です。
頼朝の奥州攻めの戦勝祈願のために建てられました。

時政の墓もここにあります。
ちなみに、時政は実朝すら廃しようとして、実子の政子・義時らによって鎌倉から追放。
二度と表舞台に立つことなく、ここ伊豆で生涯を終えました。


(北条時政の墓)

■成福寺

鎌倉時代の実質的な統治者であった北条氏。
その発祥の地がここ伊豆韮山です。

当時を偲ぶ北条氏邸跡は、いまは広大な野原。
北条氏滅亡の後、北条高時の母・覚海円成が一族の女性たちと韮山の地に移り住み、円成寺を建立しましたが、後に廃寺となりました。
いまは史跡調査のため、立ち入り禁止となっています。


(北条氏邸跡(円成寺跡))

北条氏の菩提寺は、その北条氏邸跡からほど近くのところにあります。
それが成福寺です。

元寇でモンゴル軍を退けた北条時宗の子・正宗が建立。元軍との戦で命を落とした戦没者の霊を弔いました。
境内には北条一族の墓があります。

結構盛り沢山だったなぁ、伊豆韮山。
特に歴史好きにはおススメです。鎌倉時代から幕末まで、街あるきしながら、その時代その場所に思いを馳せてはいかがでしょうか。

ありがとう、伊豆韮山! ありがとう、頼朝、北条氏、江川英龍さん!

■基本情報

【江川邸】
所在地:静岡県伊豆の国市韮山韮山1番地
アクセス:韮山駅からバス5分
料金:大人600円、中学生以下350円

【蛭ヶ島公園】
所在地:静岡県伊豆の国市四日町字蛭島13
アクセス:韮山駅からバス10分

【願成就院】
所在地:静岡県伊豆の国市寺家83-1
アクセス:韮山駅からバス5分
料金:大人400円、中高生200円、小学生100円

【成福寺】
所在地:静岡県伊豆の国市四日町981
アクセス:韮山駅から徒歩

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