城ぶら!秀吉・官兵衛の天下の奇策「高松城水攻め」備中高松城

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

今日の夢中は、遠出して岡山へ。備中高松城です。

■城ぶら!

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりではないでしょうか。

かく言う館長ふゆきも、街あるきと歴史をこよなく愛する一人。
最近は、愛読する「歴史人」なんかでも城特集が組まれたりして、うずうずしていました…。ということで、意を決して城めぐり、行ってきました!

その場所は、岡山
ちょっと渋いですね(苦笑)。でも、結構いい城があるんですよ。
あいにくの天気で、予定の半分もまわれませんでしたが、それもご愛敬。次の楽しみが増えました。

それでは、歴史好き&街あるき好きにはたまらない、城めぐりのぶらり旅にでかけましょう。
略して「城ぶら」!今日は、岡山の城めぐりに行ってきます!

■天下の奇策

岡山の「城ぶら」、最初に向かったのはこちら。備中高松城です。
ここは歴史好きなら知っている、時代の転換点となった城です。

ときは天正10年(1582年)。
信長から中国攻めを命じられた秀吉は、ここ備中高松城に攻め入ります。

しかし沼地に囲まれた城は難攻不落…。そこで、秀吉の軍師・黒田官兵衛が検索したのが水攻めでした。
世に言う天下の奇策、「高松城水攻め」。なんと、わずか12日で堤防をつくり上げ、城を水没させました。

これだけでも歴史に残りますが、さらにその後がすごい。
秀吉はここに信長を招こうと準備を進めますが、水攻めの最中に本能寺の変が起きます。

秀吉は、信長の死を秘匿したまま、毛利軍と直ちに和睦。城主・清水宗治の切腹と引き換えに、包囲を解きました。
そして速やかに軍を反転させると、明智光秀を討つべく「中国の大返し」を行います。

その後の秀吉の活躍は誰もが知るところ。
天下統一の口火となった城、それが備中高松城と言えるかもしれません。

■蛙ヶ鼻築堤跡

そんな、黒田官兵衛「天下の奇策」ゆかりの城、備中高松城。
最寄りは、JR吉備線「備中高松」駅

始めに向かったのは、蛙ヶ鼻築堤跡
官兵衛の献策により、わずか12日で築いた堤防の東端部です。

当時は高さ8m、上部の幅は12m、底部の幅は24m、長さ約3kmもあったというから、その規模は圧巻です。
今は公園として整備されています。

■清水宗治自刃の地

続いての史跡は、悲劇の将・清水宗治の自刃の地(顕彰碑)です。
秀吉の「宗治の首を差し出せば城兵を助ける」という条件を聞いた宗治は、自ら進んで自害を決意します。

そして、城を取り囲む水の上へ小舟で漕ぎ出し、舞を舞った後に辞世の句を詠み切腹をしました。辞世の句は次の通り。

浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して

なんとも皮肉なことに、この自刃の地を見届けるように、秀吉が滞陣した石井山が遠くに見えます。
小さく白い旗がたなびく辺り。あそこから秀吉が睥睨していたのでしょうか…。

■高松城址

そしていよいよ、備中高松城へ。
…といってもすでに城はなく、現在は公園として整備されています。

ただ、其処彼処に当時の水攻めを偲ばせる史跡が残っています。
三の丸跡を通って二の丸跡、そして本丸跡へ…。

本丸の近くには、沼の復元をした際に自然に生えたという蓮が植生する池が。
花が咲くときに訪れたらきれいだろうな…。この蓮は「宗治蓮」と呼ばれています。

本丸跡には、その宗治の首塚が祀られています。
こうして愛されているのは、散り際の見事さはもちろん、治世も行き届いていたんでしょうね。

なお、その後、備中高松城は、宇喜多直家の領地となり、家臣の花房正成が入城します。
関ヶ原の戦いの後、花房職秀が城主となって高松城に入城。しかし、その死後、一国一城令で廃城となったと思われます。

ありがとう、備中高松城!

■基本情報

名称:備中高松城(高松城址)
所在地:岡山県岡山市北区高松

アクセス:備中高松駅から徒歩で15分、岡山総社ICから車で10分
料金:無料
構造:平城(沼城)
築城年:16世紀後半
築城者:石川氏
主要城主:清水氏

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