城ぶら「淀城」!江戸幕府が築いた京の要衝!もう一つの淀城も?

こんにちは。夢中図書館へようこそ!
館長のふゆきです。

街あるき好きにして、歴史好き。
そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。

今日の夢中は、京都市伏見区にある城跡、淀城です。

■城語り

まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。

京都伏見にある淀城
江戸時代初期(1623年)、西国への備えとして江戸幕府の命により築城されました。
天守には、二条城の天守が移築されたそうです(後に落雷により焼失)。

築城を指揮した松平定綱が、淀城の初代城主となりました。
重要な拠点とあって、徳川秀忠、家光も縄張りの視察に来城しています(1626年)。

その後、淀城の城主は変遷を重ねますが、江戸享保期以降は稲葉氏が城主を務めます。
幕末、京都に戦火が上がると(鳥羽・伏見の戦い)、旧幕府軍が淀城に籠ろうとしますが、これを拒否。
江戸幕府の重要拠点として築かれた淀城は、皮肉にも幕府滅亡の一役を買うことになりました。

淀城は、明治初期(1871年)に廃城
城郭は、本丸の一部を除いてすべて破壊されました。

■城ぶらり

淀城の城跡はいま、淀城跡公園として市民らに開放されています。
本丸の一部を再整備したもの。桜の時期には大勢の人で賑わうようです。

残念ながら、二条城から移築されたという天守をはじめ城郭を示す構築物はありません。
わずかに、園内に残る石垣が、当時の威容をいまに伝えてくれます。

園内には、稲葉氏の祖である稲葉正成を祭神とする稲葉神社があります。
この正成は春日局の旦那さんですね。豊臣秀吉に仕えましたが、関ヶ原で徳川方に与すると、後に家康に召し抱えられその家臣となりました。

さらに、国の重要文化財に指定されている予杼(よど)神社があります。
桂川と宇治川の合流地に位置する淀は、古くから水上運輸の要所として栄えました。
この神社は、その守護神として人々から崇拝されていたようです。

■淀殿

ところで歴史を見ると、もう一つの淀城があることに気づきます。
こちらは「淀古城」とも呼ばれ、江戸期の淀城から北へ500m離れた位置にありました。

こちらは室町時代からの歴史ある城で、織田信長と足利義昭との重要な戦場にもなったりもしています(1573年淀古城の戦い)。
その淀城は、秀吉の側室・茶々が妊娠すると、その産所として改修されました。茶々が「淀殿」と呼ばれたのは、この淀古城に由縁しています。


淀殿:われ太閤殿の妻となりて

なお、その淀古城で生まれた鶴松は、病により2歳で死去。
淀古城も、鶴松死後の後継をめぐる内紛に巻き込まれ、城主が切腹、廃城となりました。
淀古城の史跡はほとんど残っていません…。

徳川の城として築かれた淀城と、秀吉が愛する茶々のために改修した淀城。
2つの淀城に思いを馳せて城ぶらり。ほんと、京都って奥が深いな…。

ありがとう、淀城!

■基本情報

名称:淀城(淀城跡公園)
所在地:京都府京都市伏見区淀本町167
アクセス:京阪電鉄・淀駅 徒歩約4分

ブログランキングに参加しています!

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事